以前のブログにて、琵琶の絃は「絹糸」だとお伝えしました。
では絹はいつどこで誕生したのかご存知ですか?
絹の生産は紀元前3000年頃の中国で始まっていたと言われております。
殷(いん)の時代(紀元前1500年から紀元前1200年頃)には、甲骨文字の中に「桑、絲(いと)、帛(きぬ)、巾(布巾の意味)の文字が書かれていたとのこと。
そして前漢の時代になると西域との貿易が始まり、絹は桑の木や養蚕の技術と共に西へ西へと運ばれました。
この道がシルクロードです。
琵琶の祖先であるバルバットも、このシルクロードを通り中国へと伝わりました。
”琵琶”と”琵琶の絃の素材である絹”が、シルクロードを通して交わったわけですね。
そして絹は日本には弥生時代に伝わったとされています。
江戸時代には様々な養蚕技術が誕生し、明治時代に最盛期を迎えます。
1960年代には全国に約50万戸もの養蚕農家があったとのこと。
年間約10万トンを超す繭が取れていたそうです。
10万トン!
凄いですよね。
私の生まれ育った山梨も養蚕が盛んでした。子供の頃には桑畑ばかり。
桑の木は背が低いため道路に葉が勢いよくはみ出していました。
道幅が狭い場所では対向車とすれ違う時、ギリギリまで桑畑に寄せるものですから、開けた窓から桑の葉が車内に入ってきて、
窓からボーっと外を眺めていると、ざざっと桑の葉に顔をすられたりして。
それがとても嫌だったのを覚えています(笑)
そんな桑畑も最近はすっかり見なくなりましたが。
山梨では”お蚕さん”と呼んでいました。
各地でいろいろと呼び名が違うそうですね。
その養蚕業、残念ながら現在はすっかり衰退してしまい、残っている養蚕農家戸数は全国において、わずか134戸とのこと。
(※大日本蚕糸会HP参照 https://silk.or.jp/)
琵琶も絶滅危惧種ですが、養蚕も厳しい現状です。
ご存知ですか?
・お蚕さんは人間による管理なしでは生きることが出来ない家畜昆虫であること。
・一匹ではなく一頭と数えること。
・ひとつの繭から取れる生糸は1500メートにも及ぶこと。
・成虫になってからは何も口にせず、その命は一週間ほどであること。
・成虫に翅(はね)はあるが飛翔に必要な筋肉が退化しているため飛ぶことができないこと。
そうそう、映画「ゴジラ」に登場した”モスラ”のモデルは、お蚕さんの成虫(野生の蚕であるヤママユ科の成虫)なのですよ。

※この写真は剪定されず巨大に育ってしまった「桑の木」です。
そういえば、小学生の夏休みの自由研究で「蚕の成長の記録」に取り組んでいた友達がいました。
毎日毎日観察して、その様子や成長記録をまとめていたのです。
その当時は子ども心に
「なんで自由研究にそんな大変な題材を選んだのだろう。遊べないじゃん!(”じゃん”は方言です)」
と思っていましたが、いえいえとんでもないです。
なんて素晴らしく得難い経験なのでしょう。
確か彼はその自由研究で大きな賞を取り、壇上で誇らしげに賞状を受け取ってました。
いつか彼に会う機会があれば、是非お蚕さんのことを聞いてみたいものです。(きっと本人は当時のことはもう覚えていないかもしれませんが…)
懐かしい思い出とともに、絹についての興味を掻き立てられながら過ごす秋のひととき。
琵琶に出会ったからこそ、このように知識深められることに感謝です。
絹についての関心は、まだまだ尽きそうにありません。