
自然の中の情景はとても好きなのですが、
私は”道”にいつも目を奪われます。
真っ直ぐ伸びる一本道。
ゆるぎなくどこまでも続く一本道。
すーっ、と惹き寄せられます。
いつまでも眺めていられます。
道といえば、西郷隆盛の書いた「西郷南洲遺訓」に、こんな一説があります。
道を行ふ者は、固(もと)より困厄(こんやく)に逢ふものなれば、如何(いか)なる艱難(かんなん)の地に立つとも、事の成否、身の死生などに、少しも関係せぬもの也。
事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動かす人有れども、人は道を行うものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
故にただ只管(ひたす)ら道を行い道を楽しみ、若し艱難に逢ふて之を凌(しの)がんとならば、弥々(ますます)道を行ひ道を楽しむ可(べ)し。
予(よ)、壮年より艱難といふ艱難に罹(かか)りしゆゑ、今はどんな事に出会う共、動揺は致すまじ、夫(そ)れだけは仕合(しあわ)せ也。
「もしも困難なことがあったとしても、その道を楽しみながら進みなさい」
そう西郷隆盛は説いています。

そういえばふと思い出したのですが、眠っている間にとても苦しい夢を見ていた時期がありました。
前に進みたくても足が鉛のように重く、なかなか一歩が前に出せない。
急がなければならないのに、いっこうに前に進めない。
何故こんなに足が重いのだろう、と足を引きずりながらもがいている…そんな夢です。
あとは、泳いでいるのに水深があまりにも浅く、クロールの手を必死にまわして、バタ足も全力でしているのに前に進まない…とか。
また、飛んでいるのに浮力が出ず、地面すれすれの高さのため身体を擦り、飛べず前に進めない…とか。
うーん、苦しい。
”急いでいるのに前に進めない”という、どれも似たような状況の夢でした。
今まで歩んできた道が決して平坦なものでは無かったので、その苦しみが知らず知らずのうちに心に溜まり、夢に現れたのかもしれません。
ぬかるみ、でこぼこ、迷い道。
険しい坂道、行き止まり。
まさに五里霧中。
ですが、ある日を境にその道の風景はガラリと変わりました。
自分の目の前に真っ直ぐに伸びる一本の道が見えたのです。
やさしく日の照っている、細いけれども歩きやすい道。

多少の起伏はありますが、
わき道に入って彷徨うことは、もう無くなりました。
この先、もしかしたら途中で激しく雨が降り、ぬかるんで足を取られたりすることがあるかもしれません。
ですが、雨が上がって日が出れば再び道は乾きますし、青空が見えれば顔を上げられます。
例え、どんな困難が待っていたとしても
”きっと乗り越えられる”
そう根拠のない自信は何故かあります。
それはこれまでの経験による裏付けから(笑)
人生は思うよりも長いです。
身体はだんだん衰えて行きますが、心は決して老いることはありません。
むしろ磨かれて輝きは増していくと思います。
経験という宝が自分を支え、いろどりに満ちた思い出が心を豊かに、そして優しくしてくれますから。
好奇心を胸に今を楽しむ。
それが一番大切なことだと思っています。

今までの道、これからの道。
自分の道の先には、いったいどんな景色やどんな出会いが待っているのでしょうね。
そう思うとワクワクしませんか?